—天保五年(一八三四)一二月二四日。定蓮社禅誉。文政元年(一八一八)一〇月二七日に増上寺の学頭に補せられ、一一月一一日から袋谷ふくろだにの学頭寮に移り住んだが、翌年二月二一日に館林善導寺の三四世(『浄源脈譜』では三七世)となり、一二年間住持。同一三年に瓜連うりづら常福寺六一世に転住し、同寺にて入寂。
【資料】『三縁山志』八、『瓜連常福寺志』(共に浄全一九)、『館林善導寺志』(浄全二〇)
【執筆者:原口弘之】