大治五年(一一三〇)—文治三年(一一八七)三月一七日。葉室行隆ともいう。父は中納言の藤原顕時あきとき。法蓮房信空の父。右大弁に任ぜられ、養和元年(一一八一)三月三日東大寺造営の奉行となる。大勧進の交渉役の任に当たり、当初法然に交渉したが法然は激務により念仏に支障が出るとし、これを辞した。行隆は法然に代わりの人師を推挙するよう請い、俊乗房重源ちょうげんが勧進役に付いた。
【資料】『四十八巻伝』三〇(聖典六)、『翼賛』三〇、三一、五四(浄全一六)、『尊卑分脈』(『国史大系』五九)
【参照項目】➡重源
【執筆者:笠島崇信】