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不残

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ふざん/不残

天文五年(一五三六)—元和三年(一六一七)九月三日。総蓮社円誉法華。近世初期における浄土宗の学僧。武蔵国(埼玉県)上田友久の子。増上寺存応からも長老として信頼を得、宗政面でも活躍した。鴻巣勝願寺清巌について浄土の学問を究める一方、南都(奈良)に遊学して唯識因明を学び、その筋の権威と認められた。最初、樋遣川ひやりかわ聖徳寺住職となったが、のち勝願寺を再興して二世となった。早くから徳川家康との関係もでき、慶長九年(一六〇四)幕府から三〇石の寺領を寄進された。同一一年には後陽成ごようぜい天皇から紫衣を勅許された。こうして不動の地位を得た不残は、存応やその弟子廓山かくざん了的らと駿河や江戸城の法談に参加し、その学力を発揮した。また奈良一乗院尊勢らとも深い関係をもち、文化的交流をはかった。元和三年弟子恵天に勝願寺を譲って高崎大信寺に隠居。


【資料】『勝願寺文書』、『大信寺文書』


【執筆者:宇高良哲】