不残
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:32時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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ふざん/不残
天文五年(一五三六)—元和三年(一六一七)九月三日。総蓮社円誉法華。近世初期における浄土宗の学僧。武蔵国(埼玉県)上田友久の子。増上寺存応からも長老として信頼を得、宗政面でも活躍した。鴻巣勝願寺清巌について浄土の学問を究める一方、南都(奈良)に遊学して唯識・因明を学び、その筋の権威と認められた。最初、樋遣川聖徳寺の住職となったが、のち勝願寺を再興して二世となった。早くから徳川家康との関係もでき、慶長九年(一六〇四)幕府から三〇石の寺領を寄進された。同一一年には後陽成天皇から紫衣を勅許された。こうして不動の地位を得た不残は、存応やその弟子廓山・了的らと駿河や江戸城の法談に参加し、その学力を発揮した。また奈良一乗院尊勢らとも深い関係をもち、文化的交流をはかった。元和三年弟子恵天に勝願寺を譲って高崎大信寺に隠居。
【資料】『勝願寺文書』、『大信寺文書』
【執筆者:宇高良哲】