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廃立

提供: 新纂浄土宗大辞典

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はいりゅう/廃立

一方を廃して他方を立てること。ただし複数の用法があり、意味については慎重な吟味を要する。①通常の漢文の用法として「旧帝を廃し、新帝を立つ」の意。前の皇帝を廃位させて新たに別の皇帝を位に就かせることである。②釈尊が経典で、AをBグループに属するものとして説くことを「立」とし、そのBグループから排除することを「廃」という。たとえば物質(しき)などの有為法を五蘊ごうんの中に立てるが、虚空こくう涅槃などの無為法は五蘊の中には立てず、そこから排除(廃)するというのがその例である(『俱舎論』一、正蔵二九・五中)。また仏陀の身体的特徴である三十二相は、経典によって内容が異なるが、釈尊が経典に列挙することを「立」とし、列挙しないことを「廃」とする(『往生要集浄全一五・八三下)。③天台宗廃権立実はいごんりゅうじつ廃迹立本はいしゃくりゅうほんの用例。天台宗解釈では釈尊は晩年に『法華経』を説いてこの上ない真実(実)の教えとして確立・提示し、それまで説かれた教えを仮(権)のものにすぎないと判定する。これを廃権立実(仮の教えを廃し真実の教えを立てる)という。また仏の永遠なる姿を真実と説き、それまで説かれていた、入滅する仏の姿を仮のものと判定する。これを廃迹立本(仏の仮の姿を廃し本来的な姿を立てる)という。④『選択集』四や一二にみえる法然独自の用法。すなわち『無量寿経三輩段や『観経』において釈尊は、往生のための行として念仏以外の諸行をも説いたが、諸行は「廃」のため、念仏は「立」のために説いたのであるとする。この「廃」と「立」については、「選択」と同じように「念仏だけを選び、諸行を完全に排除すること」とする解釈もあるが、「選択」と「廃立」を区別する解釈も唱えられている。それによると、「廃立」は、釈尊が主語である場合には、「往生を求める人々に諸行をやめ、念仏だけをひたすら行うように勧励し、しむけること」、つまり使役の意味であり、往生を求める人々が主語である場合は、「釈尊の勧励に従い、諸行をやめ、念仏だけを行うこと」となる。ただし、『選択集』一二では、天台宗の廃権立実にたとえられており、「釈尊が、念仏のみをこの上ない勝れた行と判定し、念仏以外の諸行をそれに比べて劣等な行と判定すること」という価値の優劣をつける意味をも含みこんでいるとみられる。


【参考】本庄良文「『選択集』第四・第十二章における〈廃立〉の語義」(『八百年遠忌記念法然上人研究論文集』知恩院浄土宗学研究所、二〇一一)


【参照項目】➡廃助傍の三義


【執筆者:本庄良文】