—永正一二年(一五一五)一〇月二五日。城誉と号す。三条西実隆の実息と伝えられる。良純法親王『平等院旧記』仮名本では「えいきゅう」とされる。知恩寺二五世慶秀により剃髪、増上寺三世聖観のもと伝宗。明応二—三年(一四九三—四)頃、宇治平等院に在僧がなく荒廃が著しいことから父実隆直筆「修造勧進帳」(京都府文化財)を携え勧進に奔走し伽藍復興を遂げ中興となる。鳳凰堂の西側に浄土院を建立し平等院における浄土宗の基盤を作った。弟子に教誉行然、永徹と続き一六代まで近衛殿の血脈が相続する。
【執筆者:神居文彰】