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如空

提供: 新纂浄土宗大辞典

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にょくう/如空

弘長二年(一二六二)—元亨元年(一三二一)三月六日。諡号を仏元真応智慧如一にょいち国師といい、略して如一とも呼ばれる。百万遍知恩寺六世および知恩院八世。父は大江家光。幼名を法喜丸という。はじめ南禅寺において儒書を学ぶが、父が亡くなったことをきっかけに世の無常を感じ、知恩寺四世道意について出家浄土宗を学んだ。後、木幡派慈心について顕密を修し、また良忠に師事し宗義を究めた。学徳高く弁才にすぐれ、伏見・後伏見・後二条・後醍醐四帝の帰依を蒙り、宮中に浄土の要義を進講した。伏見法皇・後伏見上皇のために三経五部一集を講じ、文保元年(一三一七)九月には伏見法皇の臨終に際し善知識をつとめ、後醍醐天皇より国師号および紫衣を賜った。また比叡山功徳院舜昌如空の道風を慕い、比叡山を下り教化を助けたといわれる。晩年は鷹司兼平の帰依を受け、洛西に智恵光院を開き隠棲した。和歌に秀で、その詠草が『続千載集』『新千載集』に収録されている。世寿六〇歳。


【資料】『鎮流祖伝』(浄全一七)、『百万遍知恩寺誌要』(浄全二〇)


【参考】井川定慶編『知恩院史』(知恩院、一九三七)、大島泰信『浄土宗史』(浄全二〇)


【執筆者:沼倉雄人】