中野善英
提供: 新纂浄土宗大辞典
なかのぜんえい/中野善英
明治三二年(一八九九)—昭和四一年(一九六六)四月一四日。精蓮社賢誉進阿一味。号は尅子。愛知県海部郡立田村小茂井(現・愛西市小茂井町)に生まれる。大正一一年(一九二二)宗教大学研究科首席卒業。同年愛知県津島米ノ座西光寺住職。卒業前、神田駿河台の土屋観道の説教所「光明会館」の「如来中心主義」看板にひかれ入所、爾来観道に師事、真生会副主幹として支援する。自らの念仏体験を深め、独創的な一味哲学体系を基に、同一四年「一味会」を開設。月刊誌『一味』を創刊。遷化に至るまで四二四号を刊行し、最盛期には月刊一万部以上を発行。生涯、念仏宣布教化に寸暇を惜しんで献身、自筆の法話と挿絵によるハガキ通信を続ける。色紙短冊、要偈詩歌等、簡明直截に表現し、数十冊にわたるパンフレットを精力的に刊行し続けた。比叡山飯室谷において、仲秋の名月を仰いで従来の念仏の唱え方に革命を起こす大念仏の発声法を創唱。一般に公開された。著作物に『一味哲学大系』『ここに声あり』『電信棒にも花が咲く』『和』『洗心』『すべてこの内』『ソレでいいのか』『一灯無尽』『一色一香』『下手でも十年』『信仰と商売』『常心』等がある。
【参照項目】➡一味会
【執筆者:土屋光道】