徳住
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:30時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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とくじゅう/徳住
安永六年(一七七七)—天保一三年(一八四二)八月二三日。転蓮社入誉真阿。父親の請により寛政元年(一七八九)尾張国雲谷寺の真誉のもとで出家。同一三年、増上寺で智堂より両脈を相承。文化四年(一八〇七)上野国清滝寺に、同九年に本庄円心寺に住す。同一二年、伝通院にて徳本の説教を聴き再発心。翌年信濃国西方寺にて入門式、名を徳住と改める。以後、師に倣い不臥行ならびに五時の勤行・日課称名一〇万遍を行いながら各地を巡化する。また捨世地として九品院を建立、浪華源正寺、名古屋光照院を中興。天保一三年病により遷化。
【資料】『真阿徳住上人行業雑記』
【参考】福田行誡編『徳本行者伝附録法弟小伝』(浄全一八)
【執筆者:朝岡知宏】