—寛正五年(一四六四)六月六日。一説には文亀元年(一五〇一)七月一八日。僧海、珠明とも号す。清浄華院一六世、金戒光明寺一三世。清浄華院一四世玄周に師事し法兄にあたる同山一五世等胖の譲を受け同山に晋董。のち新黒谷に退隠し、金戒光明寺一三世となる。一休禅師が黒谷に詣して法然真蹟と伝わる『一枚起請文』に賛を書いたのは等珍の代であったという。
【資料】『黒谷誌要』『清浄華院誌要』(共に浄全二〇)、『浄土宗大年表』(山喜房仏書林、一九九四)、『総系譜』上、『浄源脈譜』(共に浄全一九)
【執筆者:永田真隆】