ただ阿弥陀仏の救済を信じること。往生を願う愚鈍念仏者の起こすべき信心。聖冏『投機抄』のなかでこの語を用い、『往生記』に示される一六の愚鈍念仏往生の機のなかで、初めの三つを単信の大信とする。また『教相十八通』上では「単信の大信とは、本願の真実をも識しらず、名号の大利をも知らず、安心起行をも分かたず、総願別願をも弁わきまえず。…ただ心には助け給えと存し、口には南無阿弥陀仏と唱える計ばかりなり。是を単直仰信の正機と云う」(浄全一二・七四〇下)と述べている。
【参照項目】➡単直仰信
【執筆者:鷹觜観道】