松山市味酒町。月照山崇源院。愛媛教区№二五。当時伊予国松山藩主であった松平定行の領地にあり、定行の菩提寺であった。開山年時は定かではないが、開山上人が存応から附法を受けているため、近世初頭の開山と考えられる。江戸後期の記録によると伊予国触頭ふれがしらであった。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)
【参考】宇高良哲「浄土宗の触頭制度について」(『法然浄土教の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)
【執筆者:郡嶋昭示】