たいらのつねたか/平経高
治承四年(一一八〇)—建長二年(一二五〇)六月。鎌倉時代中期の公卿。参議民部卿。『選択集』に序文を附して開版した兵部卿平基親は従兄にあたる。民部卿となった六〇歳以後浄土教に深く帰依し、その日記『平戸記』は数々の仏事や関与した念仏僧の名が登場する。見仏、敬仏など能声の恒例念仏衆一二人を擁していた。念仏衆以外にも正信、道観、蓮寂、善恵房、嵯峨念仏房などの名が見え、法然滅後の念仏教団の動きを窺うことができる。
【参考】伊藤唯眞「平経高と専修念仏宗」(『仏教史学』八—一・二、一九五九)
【参照項目】➡平戸記
【執筆者:伊藤唯眞】