大悲受苦
提供: 新纂浄土宗大辞典
だいひじゅく/大悲受苦
仏や菩薩が衆生をあわれむ大悲の心から、衆生に代わって苦しみを受けること。代受苦・大悲代受苦ともいう。すべての人びとの苦しみを自分の苦しみであるとして受けとめ、またその苦しみからの救済を志す慈悲の心にもとづく行為のこと。『維摩経』中には、維摩居士がなぜ病気になったのか、との問いに対し、「一切衆生病むをもって、この故に我れ病む。もし一切衆生の病滅せば、則ち我が病も滅せん。…またこの疾、何の所因より起こるやと言わば、菩薩の病は大悲をもって起こるなり」(正蔵一四・五四四中)とある。また『請観音経』に「また地獄に遊戯し、大悲、代わりて苦を受く」(正蔵二〇・三六中)とあり、『大智度論』四九では、大悲受苦を説いたのち、「もし代わるべき理有らば、必ず代わること疑わず」(正蔵二五・四一四中)とある。この「理」について良忠は『往生要集義記』三(浄全一五・二二九下)で、なぜ自業自得の理に背いて他の苦に代わるのか、という問いに対し、衆生の宿縁が深厚であれば菩薩は代わって苦を受けること、また平等不二に根差したものであると答えている。
【参照項目】➡大慈悲
【執筆者:曽和義宏】