大衆
提供: 新纂浄土宗大辞典
だいしゅ/大衆
Ⓢ(mahā)saṃghaⓈ(mahā)parṣadⓈ(mahā)pariṣadなどに対する訳語。「だいしゅう」とも読む。原語も別々であり、論書には明確な定義は確認できないが、仏典において広く用いられる。意味としては、仏を前にした①人々の集まり、②出家者の集まり、③説法会の参集者などがある。さらに四部(四衆)、二部(比丘・比丘尼)、声聞衆・菩薩衆、八部衆による区別もある。『無量寿経』を例に「大衆」の意味を調べると以下の通りである。①の用例—「汝、今説くべし。よろしく知るべし、この時なり。一切の大衆を発起し悦可せしめよ」(聖典一・二二四/浄全一・六)、②の用例—「我が国に生ぜんと欲せんに、寿終の時に臨んで、もし大衆の与に囲繞せられて、その人の前に現ぜずんば、正覚を取らじ」(第一九願、聖典一・二二七/浄全一・七~八)、③の用例—「衆の為に法蔵を開きて、広く功徳の宝を施し、常に大衆の中において、説法獅子吼したまう」(四誓偈、聖典一・二三三/浄全一・一一)である。『阿弥陀経』では「かくのごとき等の諸もろの大菩薩、および釈提桓因等の無量の諸天大衆と俱なりき」(冒頭、聖典一・三一五/浄全一・五二)の一例がある。これは③の意味である。
【執筆者:中御門敬教】