阿弥陀仏の有する本願に具わった力のこと。大願力・願力・本願力・宿願力などともいう。『観経疏』玄義分では弘願を解釈するにあたり、『無量寿経』の引用として、この語を用いている(聖典二・一六二/浄全二・二上)が、良忠は『伝通記』において、この経文は確認できないとし、大願業力を大願・大業・大力の三種に分け、大願を「五劫思惟の四十八願」、大業を「兆載永劫の六度万行」、大力を「十劫正覚の利益衆生」と理解している(浄全二・一三一下~二上)。
【資料】『往生論註』、『安楽集』、「ある人のもとへつかわす御消息」(昭法全五八六~七)
【執筆者:石田一裕】