一九世紀頃、生没年不明。忍蓮社頂誉成阿。また正専ともいう。大本山善導寺五三世。小石川伝通院の学寮で修学し、学頭まで進んだ。天保一五年(一八四四)四月、善導寺に入山して五三世となる。弘化二年(一八四五)八月一九日より二五日まで、法然の六五〇年遠忌予修法会を勤修した。安政元年(一八五四)に開山廟堂を重建し、また同六年一〇月には長らく失われたままであった三門を営建した。
【資料】『筑後善導寺志』(浄全二〇)
【参考】九州歴史資料館編『筑後大本山善導寺』(九州歴史資料館、一九八一)
【執筆者:加藤弘孝】