専念寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
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せんねんじ/専念寺
一
山形県鶴岡市大山。鎮護山一心院。山形教区№一〇一。百万遍知恩寺二九世岌善が東北巡教の折庄内に移り、大浦城主武藤氏の招請により天正元年(一五七三)開山。岌善には正親町天皇より帰洛の綸旨が下されたが、同七年専念寺で遷化。山号は古くは鎮護山、のち糟渓山両号を称したが、文政一二年(一八二九)鎮護山に統一。明治一七年(一八八四)大山大火で類焼したが再建。戊辰戦争の戦死者伊勢桑名藩士の墓がある。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)
【執筆者:中野真理子】
二
島根県隠岐郡西ノ島町。松栄山。出雲教区№五一。触頭寺院であった。天正七年(一五七九)四月八日の起立。開山は善誉哲道。明治初頭の廃仏毀釈により甚大な被害を受けたが、明治二一年(一八八八)に再興の許可を得た。
【資料】『蓮門精舎旧詞』三〇(続浄一九)
【執筆者:齊藤舜健】
三
福岡県久留米市草野町草野。西向山一心院。福岡教区№一九八。元久元年(一二〇四)、持願が開基となり聖光に命ぜられて建立したと伝える。当時の寺号は西向寺。天正三年(一五七五)地頭草野家清の帰依で清岸が中興し現在の寺号に改める。同一五年豊臣秀吉方の軍勢により草野家滅亡。その後当寺は破壊され、一〇〇年後の江戸期に再建。本尊は国重要文化財で「塩買いの阿弥陀」として尊ばれている。
【資料】『蓮門精舎旧詞』三九(続浄一九)
【参考】久留米市史編さん委員会編『久留米市史』五(久留米市、一九八六)
【執筆者:金田昭教】