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摂取不捨曼陀羅

提供: 新纂浄土宗大辞典

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せっしゅふしゃまんだら/摂取不捨曼陀羅

法然在世中に流行したと伝えられる浄土教図の一つ。名称は、『観経』の「一一の好に、また八万四千光明あり。一一の光明、徧く十方世界を照らして、念仏衆生を摂取して捨てたまわず」(聖典一・三〇〇/浄全一・四四)による。現存作例が皆無なため、全容は中世期の史料によるしかないが、貞慶の「興福寺奏状」、明恵の『摧邪輪』、無住の『沙石集』に示された図様はいずれも共通している。それは、画面中央に阿弥陀仏を配し、その前(周辺)に在家および出家者を多数描き、阿弥陀仏十方光明を放つが、念仏者のみ照らされて、他の行法を修する者には当たらないといったものである。制作にあたっては、阿弥陀仏光明が臨終を迎える念仏者に照射される様を描いた来迎図を参考にしたと考えられている。この構図は、法然阿弥陀仏への信仰専修念仏の趣旨を如実に表現したものであるが、他宗教者に対しては刺激的な図様を呈していたため、念仏弾圧の一因となり、建永二年(一二〇七)の法難に際し、ことごとく廃棄されたという。なお、若干の相違箇所があるものの、米国・クリーブランド美術館蔵『融通念仏縁起』下の巻末に当曼陀羅の構図に近似した図が掲げられている。


【参考】千葉乗隆「摂取不捨曼荼羅について」(日野昭博士還暦記念会編『歴史と伝承』永田文昌堂、一九八八)


【執筆者:藤田直信】