修明門院
提供: 新纂浄土宗大辞典
しゅめいもんいん/修明門院
鎌倉時代前期の女院。名は藤原重子。後鳥羽天皇の寵愛を受け、後の順徳天皇となる守成親王や雅成親王を生み国母となるも、後鳥羽・順徳両上皇、雅成親王が鎌倉幕府打倒の兵を挙げた承久の乱で敗れ三帝が配流となり、孫の仲恭天皇も廃位となった。女院であるため、配流に同行することができず、京都に留まり、後鳥羽院の出家に伴い落飾。後鳥羽院崩御の後も、菩提を弔い続けながら日々を過ごしたという。『四十八巻伝』には、後鳥羽院、上西門院と同じく、修明門院が、法然より円頓戒を授けられていることが取り上げられている。
【資料】『四十八巻伝』一〇(聖典六)
【参考】角田文衛『平家後抄(上)』(朝日選書、一九八一)
【執筆者:東海林良昌】