しばしば修すること。何度も繰り返して行って成果を得ること。ⓈⓅbhāvanā。修とも訳す。『無量寿経』の第二十二願に「現前に普賢の徳を修習せん」(聖典一・二二八/浄全一・八)とあるのは、仏になるために普賢菩薩の徳目を掲げて実践する、という意味。ただし、この箇所も含め、『無量寿経』中の「修習」は、梵本中のbhāvanāと対応していない。『観経疏』定善義には「この人は過去にすでにかつて、この法を修習して」(聖典二・二五三/浄全二・四〇上)とあり、過去に既に浄土の法門を聞いて繰り返し修したことを表している。
【執筆者:佐藤堅正】