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秀馨

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しゅうけい/秀馨

—天文八年(一五三九)七月二九日。英蓮社善誉称念金戒光明寺一六世、清浄華院二二世。平貞祐の次男。叔父にあたる玄真について出家。はじめ華開院に住したが、のち清浄華院二二世に董住。当時、金戒光明寺寺領は一揆や武家による押領などによって荒廃していた。これを嘆いた秀馨は再興にあたり同寺一七世理聖を看坊とし宿志を果たす。なお『清浄華院誌要』では永正六年(一五〇九)から同七年頃、黒谷光明寺を再建し、同八年二月一二日に寂したとする。


【資料】『黒谷誌要』『清浄華院誌要』(共に浄全二〇)、『総系譜』上、『浄源脈譜』(共に浄全一九)


【執筆者:永田真隆】