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少康

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しょうこう/少康

—唐・貞元二一年(八〇五)。縉雲しんうん(浙江省)の人。中国浄土五祖の第五祖。幼少より仏教を学び、越州の嘉祥寺にて受戒して律を修学する。貞元のはじめ頃、洛陽の白馬寺に至り、善導の「行西方化導」の文をみて感銘を受ける。その後、長安善導の影堂に参じ、霊瑞を得て浄土教帰依した。以後は弘法につとめ、睦郡(浙江省)では小児に阿弥陀仏を念じさせて一声ごとに一銭を与え、また念仏を多く称えた者にも給付した。このような勧化によって、一年の後には少康の姿を見かけた者は皆、阿弥陀仏称念したという。さらに烏龍山浄土道場を建立し、信者を集めて念仏や唱讃の法儀を行い、斎日には三千人もの人が雲集した。少康がつくった浄土を称揚する偈讃は、広く庶民が口にしやすいように、極めて通俗的な曲調であったという。貞元二一年に西方往生奇瑞をもって没し、墓塔が建立された。乾祐三年(九五〇)に、天台山の徳韶禅師が墓塔を建立するなど、後世にいたってもその名声は絶えず、法照とならべて「後善導」と呼ばれるほどに敬慕された。著作には文諗もんしんと共編したとされる『往生西方浄土瑞応刪伝』一巻がある。


【資料】『宋高僧伝』


【参考】塚本善隆『唐中期の浄土教』(法蔵館、一九七五)


【参照項目】➡浄土五祖往生西方浄土瑞応刪伝


【執筆者:工藤量導】