玄忠寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:23時点における192.168.11.48 (トーク)による版
2018年3月30日 (金) 06:23時点における192.168.11.48 (トーク)による版
げんちゅうじ/玄忠寺
一
静岡県浜松市中区田町。寿富山照光院。静岡教区№一五〇。開山は存公。大永五年(一五二五)存公は岡部玄忠の邸宅に滞留し浄土宗の法門を宣布した。玄忠はこれに深く帰依し、先祖追弔のために邸宅を存公へ寄進した。天文二年(一五三三)存公はこの宅地に不断念仏道場を建立し玄忠寺と称した。後に存公は弟子の存牛に住職を譲り静岡に赴き、山号院号寺号同一の玄忠寺を建立している。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)
【執筆者:瀧沢行彦】
二
岡山県笠岡市笠岡。大巌山寿正院。岡山教区№二〇。永正元年(一五〇四)玄誉徹公の開基とするが、それより以前にも当地にて、文亀年間(一五〇一—一五〇四)に忠円なる僧が源信の曼陀羅を講じていた。この両名の諱をとり寺号とする。当寺は福山藩水野家の庇護のもと、備中国の触頭であり、寿正院、浄光寺、称念寺(廃寺)の三寺を末寺としていた。
【資料】『蓮門精舎旧詞』三三(続浄一九)
【参考】『諸檀林並拾七箇国触頭寺院連名帳』(文政一一年)、『笠岡市史』二(笠岡市、一九八九)、立石定夫『元和の栄光—水野勝成の政治』(青葉出版、一九八二)
【執筆者:鴫谷真策】