天文六年(一五三七)—元和四年(一六一八)一一月一〇日。星蓮社暁誉。増上寺一二世存応の高弟で、法談の際は廓山・了的・吞龍などと共に随行した。相模国鎌倉郡(神奈川県鎌倉市)大長寺四世として入山し、のち慶長年間(一五九六—一六一五)に同国高座郡(座間市)宗仲寺、慶長一二年(一六〇七)に同国鎌倉郡貞宗寺の開山となり、晩年は存応の計らいで松平家代々の菩提所である三河国岡崎(愛知県岡崎市)大樹寺の住持となった。
【参考】大橋俊雄『宗仲寺史』(宗仲寺、一九七九)、玉山成元『近世の高僧 観智国師』(山喜房仏書林、一九八八)
【執筆者:大屋正順】