仏教の真理に対して心がためらい決定しないこと。信に相対する。ⓈvicikitsāⓉthe tshomの訳。心所(心のはたらき)の名で、基本的な煩悩の一つ。教理学上ではあくまで覚りと仏教の教えに対する躊躇であり、日常的な疑問やためらいなどは含まないが、広義には煩悩に属さない疑も含む。衆生を輪廻に結び付けるものとして疑結とも呼ばれ、また心を覆い悟りや禅定を妨げるものとして疑蓋とも呼ばれる。浄土教においては『無量寿経』に説かれているところに基づき、阿弥陀仏による極楽浄土への救済を信じない心を疑という。
【参照項目】➡疑心
【執筆者:遠田憲弘】