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恩冏

提供: 新纂浄土宗大辞典

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おんげい/恩冏

享徳元年(一四五二)四月七日—天文二年(一五三三)六月七日。恩計ともいう。いみなは衆徳。『阿弥陀経』を一〇万巻書写したことから十万上人と呼ばれた。近江国に生まれ、和泉いずみのくに堺にある叔母の草庵超願寺)で出家した後、五畿七道を周旋しながら念仏を行じた。延徳二年(一四九〇)堺にて悲田院(北十万)を創建し、多数の貧者や病人を収容した。また文亀元年(一五〇一)には長泉寺(南十万)を建立。


【資料】『鎮流祖伝』五(浄全一七)、『蓮門精舎旧詞』四五(続浄一九)、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、『北十万略縁起』『北十万由緒略縁起記』(共に『堺市史史料』六二)


【参考】堺市役所編『堺市史』七(清文堂出版、一九三〇)


【執筆者:加藤弘孝】