—寛永五年(一六二八)二月二日。天蓮社梵誉。甲斐国岡部石見守信隆の子。生実おゆみ大巌寺に掛錫かしゃくして霊巌の弟子となり常給随仕する。元和六年(一六二〇)浅草御蔵前に長行山西迎院大雲寺を創建。同寺は寛文八年(一六六八)二月二日、類焼により本所押上に移転し現在に至る。
【資料】『総系譜』中(浄全一九)、『深川霊巌寺志』(浄全二〇)
【執筆者:永田真隆】