奈良県御所ごせ市原谷。国見山原谷院。奈良教区№二五七。同市にある満願寺の末寺であった。開創由来・開山は不明。近くに存した国見城の城主松下源助の菩提所であったが、国見城の落城とともに焼失。文禄年間(一五九二—一五九六)桑山重晴は寺の境内地を除地とし、茅屋を結び寺院の印としたが、非道な者がおり房舎を荒らしていた結果、慶長六年(一六〇一)に焼失した。寛永一七年(一六四〇)、再興に向け草堂を建立、大日如来の像が安置され、その後は浄土宗の者が住職となった。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)
【執筆者:三宅徹誠】