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大覚寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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だいかくじ/大覚寺

佐賀市伊勢町。光明山。佐賀教区№七。開山は天誉直質。慶長一一年(一六〇六)開創。直質は一六世紀末(文禄年間、一五九二—一五九六)石見国西福寺に居住していたとき、後陽成天皇の皇子満誉が都を出て西福寺に入御するにつき、禁裏では突然の出奔に驚いて諸方を尋ねた。そこで直質は満誉を諫めて供となって参内した。天皇はこれを喜び紺地金泥の『阿弥陀経』に綸旨りんじを添えて宣下し、天下泰平のために一宇の建立を許可した。そこで鍋島直茂の庇護の下、多久長信が大檀越となり、神野村極楽寺(佐賀市神野町)を引き移し、寺号を直質が賜った勅号の大覚寺と改めて建立された。「唯称本」と号される聖光真筆『授手印』一巻が所蔵されている。


【資料】『蓮門精舎旧詞』四二、『飯沼弘経寺志』


【執筆者:江島法俊】