摂取不捨
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:27時点における192.168.11.48 (トーク)による版
2018年3月30日 (金) 06:27時点における192.168.11.48 (トーク)による版
せっしゅふしゃ/摂取不捨
阿弥陀仏が念仏を称える衆生を、見捨てることなく極楽浄土に救い摂ること。『観経』第九真身観に「光明、徧く十方世界を照らして、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」(聖典一・三〇〇/浄全一・四四)とあるのがそれである。なぜ念仏を称えた者だけを摂取するのかということについて善導は、『観経疏』定善義において三縁を説き示し、これを受けて法然は『選択集』七で「仏の光明、ただ念仏の者のみを照らして、余行の者を照さざるは何に意有りや」(聖典三・一三八/昭法全三二七)と問い、これに「解するに二義有り。一には親縁等の三義、文のごとし。二には本願の義、謂く余行は本願に非ず。故にこれを照せず。念仏はこれ本願なり。故にこれを照摂す」(同)と答え、称名念仏が阿弥陀仏の本願であるから念仏者を照らすことを説いている。
【参照項目】➡三縁
【執筆者:三輪隆就】