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慶秀

提供: 新纂浄土宗大辞典

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けいしゅう/慶秀

文明八年(一四七六)—永禄二年(一五五九)九月一〇日。千蓮社伝誉。百万遍知恩寺二五世。一二歳のとき、知恩寺三世真誉のもとで出家。修学の後も比叡山東寺などで学び、聖浄顕密の奥旨を極めた。文亀三年(一五〇三)に八幡正法寺一一世となり、大永元年(一五二一)勅詔により知恩寺晋董する。同三年には、香衣執奏の永宣旨を得るが、これを契機に知恩院との座次争いが起こった。天文年間(一五三二—一五五五)に正法寺に退隠。世寿八四歳。


【資料】『長徳山知恩寺歴志略』(仏全一一七)、『鎮流祖伝』五、『新撰往生伝』三(共に浄全一七)


【参考】伊藤祐晃『浄土宗大本山百万遍知恩寺略志』(大本山知恩寺法教科、一九一〇)、玉山成元『中世浄土宗教団史の研究』(山喜房仏書林、一九八〇)


【執筆者:加藤弘孝】