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覚心

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かくしん/覚心

一二~三世紀頃、生没年不明。『四十八巻伝』一一に、「三井の大納言僧都」としてその名が見えるのみで、詳しいことは明らかではない。法然九条兼実のもとを訪れたとき聖覚法印とともに出迎え、みずから「覚心」と名乗ったという。『翼賛』には醍醐天皇の子孫の源知房の子とも、藤原道長の子孫とも伝える。


【資料】『四十八巻伝』一一(聖典六)、『翼賛』一一(浄全一六)


【執筆者:坂上雅翁】


三世紀頃、生没年不明。長西門弟で、『俱舎論』に精通し、讃岐西三谷(香川県丸亀市飯山町東坂元)に住み、諸行本願義を盛んにひろめた。『法水分流記』によれば、称名・西覚・浄教・心澄の弟子がいる。


【資料】『法水分流記』(野村恒道・福田行慈編『法然教団系譜選』青史出版、二〇〇四)、『源流章』(浄全一五・六〇〇下)、『総系譜』下(浄全一九・一一二)、『翼賛』五八(浄全一六・九五〇下


【執筆者:平間理俊】


仁安三年(一一六八)—仁治四年(一二四三)。入道民部卿長房、すなわち藤原長房の僧名。房号慈心坊、海住山民部卿入道とも呼ばれ、また覚真とも書く。『四十八巻伝』四〇(聖典六・六一八)には、明恵帰依した人と伝えられる。


【資料】『翼賛』五四(浄全一六・八六三上


【執筆者:編集部】


三世紀頃、生没年不明。聖光の門下。『授手印』(聖典五・二四四/浄全一〇・一〇上)に名が見える。それによれば、聖光六七歳のときに、覚心は二五歳とあり、聖光の生没年から計算すると元久元年(一二〇四)頃に生まれた人のようである。


【執筆者:編集部】