心の散乱する凡夫であっても往生できることをいう。乱想とは凡夫の心が散乱することをいい、法然は『逆修説法』一七日において「臨終正念なるが故に来迎したまうには非ず。来迎したまうが故に臨終正念なりという義明らかなり」(昭法全二三四)として、阿弥陀仏の来迎によって散乱する凡夫の心が正念となるため往生が可能であると述べている。
【資料】良忠『東宗要』三(浄全一一)
【参照項目】➡正念二、乱想の凡夫
【執筆者:沼倉雄人】