吉水玄龍
提供: 新纂浄土宗大辞典
よしみずげんりゅう/吉水玄龍
天保五年(一八三四)一一月一九日—明治三七年(一九〇四)一〇月二九日。信蓮社幽誉深阿白鷗渓雲。字は渓翁。明治期の宗政家。現在の愛知県一宮市馬見塚に日置儀右衛門の二男として生まれる。天保一四年(一八四三)伊勢国度会郡今一色村(三重県伊勢市二見町今一色)円明寺深誉瑞玄のもとで得度する。嘉永六年(一八五三)温誉大宣より五重を相伝、安政元年(一八五四)宗脈を相承。明治七年(一八七四)三重県神仏中教院長、同一〇年浄土宗中教院長、同一一年西部大会議の幹事長を歴任。同一六年知恩院執事となる。同三二年一月諸役を退き神奈川県小坪正覚寺に隠棲、同三五年八月田浦長善寺に転住後、同三六年には本堂を移築・創建する。世寿七〇歳。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:横井大覚】