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「石橋誡道」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:19時点における最新版

いしばしかいどう/石橋誡道

明治一一年(一八七八)二月二四日—昭和四〇年(一九六五)一月五日。大蓮社教誉信阿碧水。清浄華院七六世、宗学者、教育者。愛知県碧海郡伏見屋村(現・愛知県碧南市)に石橋源之助の次男・重松として生まれ、明治二一年(一八八八)、光用寺(西山派、現・豊川市長沢町)に弟子入りし、誡道と改名する。その後、貞照院(碧南市霞浦町)太田大信に師事し、上京して同三九年に浄土宗大学高等正科を卒業、さらに進学して宗教大学研究科を同四二年に卒業した。そこでは宗余乗のみならず天台学も修学。その後、内地留学生を拝命し京都に移ると勤息義城ごんそくぎじょうに師事し、さらなる研鑽を積む。大正二年(一九一三)には佛教専門学校に奉職、昭和一七年(一九四二)には校長に就任している。その間、尼衆学校教授(一九二〇—一九三二)も務めている。同二〇年には清浄華院晋董教化活動に邁進した。著書に『時代と宗教』(総本山知恩院開宗記念伝道部、一九二二)、『九品寺長西教義の研究』(佛教専門学校出版部、一九三七)などがある。


【参考】石橋大僧正記念会編『青風払明月』(石橋大僧正記念会、一九六五)、大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)


【執筆者:江島尚俊】