「興玄」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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こうげん/興玄
享保元年(一七一六)—寛政八年(一七九六)三月一八日。誠蓮社実誉聖阿徳雲。知恩院五九世。知恩院五五世正含の弟子。生地不明。明和七年(一七七〇)二月結城弘経寺三六世、安永七年(一七七八)二月飯沼弘経寺五二世、天明元年(一七八一)閏五月小石川伝通院四〇世を歴任。同四年八月、台命により知恩院五九世となり同年一〇月一〇日に入山、翌年大僧正に任ぜられた。寛政三年(一七九一)八月老齢のため辞山し、北野華開院に入ったのち富小路五条の新善光寺に引退したが、同月二〇日大風により隠室が大破したため信行寺に居を移した。
【資料】井川定慶『知恩院史』(知恩院、一九三七)、『華頂誌要』(浄全一九)
【執筆者:伊藤弘道】