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「公案」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:23時点における最新版

こうあん/公案

禅宗の用語。原義は公府の案牘あんとく、すなわち国家の法令を指し、私情を容れず遵守すべき絶対的なもの。禅宗では、仏祖が開示した道理そのものを公案とし、修行者は悟りに達するためにはこれを参究するべきであるという。唐代から唱えられたといわれ、その話題の数は合計一七〇〇則になり、それを集めたのが『景徳伝灯録』である。宋代に至ると、修行者のために、公案となる話題は取捨選択された。さらに禅師たちの評唱ひょうしょうが加えられ、禅道場に於いて共通できる公案集が出現した。その代表的なものは、後に臨済宗の根本聖典となる『碧巌録へきがんろく』、曹洞宗の根本聖典となる『従容録しょうようろく』、後世に多大な影響を及ぼした無字の公案を収録した『無門関むもんかん』などである。明の憨山徳清(一五四六—一六二三)は『夢遊集』一一に「今、念仏を参究し、意は妙悟に在りと云うは、乃ち是れ一声の仏を以て、話頭と作して参究すべし。いわゆる念仏参禅の公案なり」として、禅浄の双修を主張した。江戸中期の臨済僧白隠慧鶴はくいんえかくは、『遠羅天釜』続集の中で念仏公案との関係について述べ、両者に優劣はないが、西方浄土往生したいと願うことをやめ、念仏を手段として、自己の心にある浄土を徹見しなければならないという。


【参考】古田紹欽「公案の歴史的発展形態における真理性の問題」(『古田紹欽著作集』二、講談社、一九八一)、石井修道『宋代禅宗史の研究』(大東出版社、一九八七)、井筒俊彦「禅における言語的意味の問題」(『井筒俊彦著作集』九『意識と本質』中央公論社、一九九二)、芳澤勝弘訳注『遠羅天釜 上・中・下・続集』(『白隠禅師法語全集』九、禅文化研究所、二〇〇一)


【執筆者:林鳴宇】