「訓公」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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くんこう/訓公
—永正一七年(一五二〇)八月一五日。釈蓮社肇誉。知恩院二四世。飯沼弘経寺二世の了暁に師事。師とともに三河国を遊化し、その法を嗣いで三河の御津大恩寺の二世となり中興した。その後、岩津信光明寺の二世となり、豪族であった松平親忠・長親らの帰依を受ける。永正八年(一五一一)兄弟弟子であった知恩院二三世愚底のあとを受けて知恩院に入山。在任中、三度の火災にみまわれたが、四方に勧進して知恩院の復興に努め、同一四年には阿弥陀堂や鐘楼などを建立した。
【資料】『知恩院史』(知恩院、一九三七)、『総系譜』『華頂誌要』(共に浄全一九)、『知恩院旧記採要録』(仏全一一七)
【執筆者:工藤量導】