「小林義道」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一) | 【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一) | ||
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【執筆者:市川定敬】 | 【執筆者:市川定敬】 |
2020年7月17日 (金) 01:38時点における最新版
こばやしぎどう/小林義道
明治二三年(一八九〇)七月一二日—昭和四五年(一九七〇)八月二一日。精蓮社進誉堅阿頼夢。京都東山に知相堅雄の長男として誕生。東京大学哲学科卒業。大正五年(一九一六)より華頂女学校教頭、佛教専門学校教授を務める。この間に山崎弁栄と会い光明主義運動を推進し、椎尾弁匡の共生会運動にも参加。また頭山満の影響を受け、アジア民族独立運動を支援。さらに免囚保護事業の神戸連合慈友会経営や明照幼稚園・明照家政塾開設、知法院建設を行う。知恩院執事、顧問を歴任し、八一歳で示寂。刊行物に『ミオヤのメグミ』(後『大ミオヤ』)、『シナ行脚雑記』など。これらは、長子憲雄により『頼夢遺文集』としてまとめられている。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:市川定敬】