「霊応」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版
れいおう/霊応
—安永六年(一七七七)一二月一一日。安蓮社豊誉民阿蒙光触。増上寺四九世。生国は近江国愛智郡君ヶ畑村(滋賀県東近江市)。氏姓は不詳。同所金龍寺で剃髪、小石川伝通院見超に師事し、のち増上寺で修学。同寺学頭、岩槻浄国寺二五世、瓜連常福寺四六世、伝通院三六世を経て、安永二年(一七七三)三月増上寺四九世。翌年起こった京都東西両本願寺との浄土真宗公称にかかわる論争の件について、たびたび幕府と掛け合うなど尽力した。安永六年麻布一本松に隠退。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史』本文編(大本山増上寺、一九九九)
【参照項目】➡宗名争
【執筆者:中野真理子】