「閻魔王」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:20時点における版
えんまおう/閻魔王
閻魔はⓈyamaの音写。他に夜摩、閻摩、焰魔、琰魔、閻羅など。王を意味するⓈrājaの音写の羅闍と併せて閻魔羅闍ともいう。日本では一般に亡者の罪科を裁いて罪を与える審判者として知られている。ヤマは古く『リグ・ヴェーダ』に見られ、『アヴェスター』に見られるYimaに対応する神格。『リグ・ヴェーダ』では死者の道の発見者とされ、死者の王、天界にある楽園の王とされる。その後、『マハーバーラタ』や『マヌ法典』では死者の審判者としての性格が顕著に示される。仏教ではヤマは欲界天の一である夜摩天と、地獄を掌る閻魔の両者となる。地獄の王としての閻魔王について、仏教では有情が死後にどのような運命をたどるかは業報の原則に基づいて規定されるため、本来は審判者を立てる余地はない。しかし、阿含経典には、悪業の報で地獄に墜ちたものが獄卒によって閻羅王の前に連れてこられ、生前の罪業を糺される様を描くものもある(例えば『増一阿含経』二四、正蔵二・六七四中~下など)。また『俱舎論』世間品では「諸の鬼の本処は琰魔王国なり。此の贍部洲の下に於て五百踰繕那を過ぎて琰魔王国有り」(正蔵二九・五九上)、「琰魔の使の諸の邏刹娑、諸の有情を擲て地獄に置く者を琰魔の卒と名づく」(正蔵二九・五八下)といい、閻魔王国が地下にあり、その配下が有情を地獄に堕すとする。中国に入ると、道教で人の寿命や福禄を掌る泰山府君の信仰と結び付き、さらに『預修十王生七経』(続蔵一)によって十王の一として位置づけられて、亡者の審判をする中心的存在として位置づけられるようになった。このような中で、日本でよく知られる道服を纏った唐代の官人風の姿が成立した。日本でも、審判者・治罰者としての面が強調される。『往生要集』では、「既に彼に到り已れば、閻魔王、種種に呵嘖す。呵嘖既に已れば悪業の羂もて縛して出でて地獄に向い」(浄全一五・四二上)とあるように地獄で罪を与える姿が描かれる。法然も『登山状』に「終に閻魔の庁に至りぬれば罪の浅深を定め業の軽重を勘えらる」(聖典四・四九五/昭法全四一八)というように、審判者として捉えている。また、『地蔵菩薩発心因縁十王経』(続蔵一)が登場すると閻魔王の本地が地蔵菩薩とされるようになり、閻魔王信仰のみならず十王信仰も広まっていった。現在でも閻魔信仰は盛んに行われ、京都市上京区の千本えんま堂など、閻魔王を祀る寺院が数多く知られる。
【参考】定方晟『インド宇宙論大全』(春秋社、二〇一一)、辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ讃歌』(岩波文庫、一九七〇)
【執筆者:齊藤舜健】