「良聖」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版
りょうしょう/良聖
一
天福二年/文暦元年(一二三四)—没年不明。良忠の門弟。聖忍房という。良忠の講義を数多く筆録している。金沢文庫に残る良聖筆録の古写本の奥書などから筆録時期・場所などをうかがうことができるが、その他の詳細な伝歴は不明。「良聖」という人物は『法水分流記』には慈心の弟子に、『蓮門宗派』『総系譜』には良忠の門人である円導の下にもみられるが、年齢などの関係から別人であると考えられる。金沢文庫には良聖が筆録・筆写した多くの典籍・講義録の古写本が現存しており、貴重な史料とされている。
【参考】恵谷隆戒『然阿良忠上人伝の新研究』(金尾文淵堂、一九三四/『浄土宗学研究叢書』国書刊行会、一九八四)、塚本善隆「金沢文庫所蔵浄土宗学上の未伝稀覯の鎌倉古鈔本」(『今岡教授還暦記念論文集』浄土学五、一九三三)、坪井俊映「鎌倉時代に於ける群疑論釈書について—特に金沢文庫所蔵群疑論見聞—」(日仏年報二一、一九五六)、『金沢文庫資料全書』四・浄土篇一(神奈川県立金沢文庫、一九八〇)
【執筆者:沼倉雄人】
二
—寛永一三年(一六三六)一〇月二〇日。教蓮社法誉。清浄華院四一世。寛永七年(一六三〇)九月勅請によって清浄華院の住職となり、紫衣参内の綸旨を受けた。在山中、同一〇年一〇月に梶井宮良恕法親王は「浄華院霊宝目録」を作成。また同一三年七月には後水尾天皇の皇女秋光院宮の葬送の導師を務めた。
【資料】『清浄華院誌要』(浄全二〇)、『浄源脈譜』(浄全一九)、『陵墓要覧』(宮内庁書陵部、一九九三)
【執筆者:石川達也】