「仏智の一念」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ぶっちのいちねん/仏智の一念
法然門弟の幸西が唱えた一念義の教学的特徴をあらわした用語。この一念は単に一度の念仏ということではなく独特の意義がある。東大寺凝然の撰述になる『源流章』で、幸西教学を「一念といふは仏智の一念なり」(浄全一五・五九一下)という書き出しで説明していることに拠る。それによると、この場合の念とは仏心のことで、仏智の一念とは阿弥陀の本願である。この仏智願力の一念に人間の信心が叶い念々相続して決定往生するという。さらに弥陀の智恵を智願というのは、智恵は四十八願に酬いて得られたから智体は願力によって所成されたもので、これを仏智一念の心というなどと説明している。凝然の記述はわかりにくい所もあるが、幸西の著書『玄義分抄』にも断片的ながら随所で仏智のことに言及している。つまり一念は弥陀の願心・仏心というほどの意味で、この仏智の一念に対して人間の信心が相応すれば往生できるという。
【参考】安井広度『法然門下の教学』(法蔵館、一九六八)、善裕昭「幸西の仏智一念説について」(『法然学会論叢』八、一九九二)
【執筆者:善裕昭】