「藤原通憲」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版
ふじわらのみちのり/藤原通憲
嘉承元年(一一〇六)—平治元年(一一五九)一二月一三日。父は藤原実兼。博学で諸道に通じ、鳥羽・崇徳・近衛の三朝に仕えた。康治二年(一一四三)出家を望むも鳥羽上皇に止められ少納言に任ぜられる。しかし出家の志深く三九歳で出家。初め円空と称し、後に信西と改めた。後に平治元年平治の乱に巻き込まれ、五四歳で没す。通憲一族には是憲(遊蓮房円照)・聖覚・明遍・貞慶等、法然に関係する有力な人師が多い。著書も多く、『本朝世紀』『法曹類林』等がある。
【資料】『通憲入道蔵書目録』(『群書類従』四九五)、『尊卑分脈』(『国史大系』五九)、『翼賛』四四、五七(浄全一六)
【執筆者:笠島崇信】