「徳清」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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とくせい/徳清
明・嘉靖二五年(一五四六)—天啓三年(一六二三)。中国金陵全椒(現・安徽)に生まれる。字は澄印、蔡氏、憨山と号した。袾宏、真可、智旭と並んで中国明代四大高僧の一人。一二歳のとき報恩寺を訪ねて経教を学ぶと同時に、儒学と黄老の学問を研鑽したという。一九歳に参禅を志し、その後報恩寺で出家、無極明信のもとで具足戒を受けた。そして嘉靖四四年(一五六五)に、浄土念仏を学んだという。思想の面では、禅浄無別、三教合一を主張。万暦四四年(一六一六)廬山五乳峰で法雲禅寺を建てて、慧遠を倣い浄土法門を専修したという。世に「憨山大師」と称され、また「弘覚禅師」の諡号を賜ったという。著作に、『華厳綱要』八〇巻、『楞厳経通議』一〇巻、『法華経通義』七巻等がある。
【参考】震華『中国仏教人名大辞典』(上海辞書出版社、一九九九)、『仏光大辞典』(仏光出版社、一九八八)、望月信亨『中国浄土教理史』(法蔵館、一九四二)
【執筆者:肖越】