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「上原敦広」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:20時点における最新版

うえはらあつひろ/上原敦広

三世紀中頃、生没年不明。信濃国諏訪郡上原(長野県茅野市上原)を支配していた武士。上原氏は諏訪大社上社大祝おおほうりを務めた為貞の孫敦成を祖とする神官の一族。彼が疑問を呈し、信瑞が決答したものに『広疑瑞決集』がある。本書の序によれば建長八年(一二五六)九月上旬、洛東弘願寺で二五箇条の問答がなされた。内容は浄土の教えや殺生念仏、また、在地神としての諏訪社に対する信仰念仏についての問答が多く収められている。『広疑瑞決集』は百万遍知恩寺で発見され、名古屋円輪寺に完本が伝えられていたが、太平洋戦争の空襲で焼失、その複写本が大正大学附属図書館にある。


【資料】『諏訪大社並社家文書』、『信濃叢書』、『広疑瑞決集』


【参照項目】➡広疑瑞決集


【執筆者:小此木輝之】