「則中」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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そくちゅう/則中
—元禄八年(一六九五)四月一九日。定蓮社禅誉。字は快玄。阿波国に生まれ、長じては伝通院で学び、慧学を修めた。『起信論』を大衆に講義すること数百回にも及び、起信庵と呼ばれた。延宝三年(一六七五)、『大乗起信論講義記』二巻、『起信義』一巻を、同八年には、『略教誡経註』一巻を著している。天和二年(一六八二)、伝通院東谷において『法華経』を講釈し、その翌年には徳川光友の招聘により、尾張国相応寺六世となった。
【資料】『鎮流祖伝』八(浄全一七)、『続日本高僧伝』三(仏全一〇四)、『尾陽往生伝』上(『近世往生伝集成』一、山川出版社、一九七八)
【参考】名古屋市役所編『名古屋市史—社寺編—』(名古屋市役所、一九一五)
【執筆者:加藤弘孝】