「禅宗」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ぜんしゅう/禅宗
仏心宗、達磨宗ともいう。菩提達摩(達磨)を東土の初祖と仰ぎ、その教えを宗旨とし、唐代および宋代にかけて禅思想を構築し、さらに朝鮮半島や日本にまで伝わった仏教の一宗派。六世紀に中国に渡来した菩提達摩は、インドから伝えられた拈華微笑・以心伝心の仏法やその証拠の品としての法衣を慧可(禅宗二祖)に伝えた。以降、このような「付法」および「伝衣」の行為が禅宗の法脈の伝承として代々相伝され定着した。弘忍(禅宗五祖)の会下から、神秀の北宗禅と慧能の南宗禅に分かれた。慧能の門下に南岳懐譲と青原行思があり、懐譲の系統から臨済・潙仰の二家、行思の系統から曹洞・雲門・法眼の三家が生まれ、さらに臨済の分派である楊岐派・黄竜派の二派が生まれ、これらを合わせて中国禅宗の五家七宗と呼んだ。中国の禅宗は、唐・宋代に隆盛し、元・明代以降は次第に衰えた。朝鮮半島では、九世紀以降、入唐の新羅求法僧たちが懐譲系統の馬祖禅を得て帰国し、のちに「九山禅門」と呼ばれた新羅の禅宗を開創した。高麗時代に至り、知訥は曹渓山修禅社で禅風を発揚し、その伝統を継承したのが現在の韓国仏教の曹渓宗である。日本では、一二世紀以降、入宋した栄西が臨済宗(黄竜派)、道元が曹洞宗を伝え、鎌倉新仏教の一角を築いた。現在の日本の禅宗は、曹洞宗および臨済宗の十四派と明末に渡来した隠元が宇治で開いた黄檗宗の三宗十四派である。そのうち、浄土思想と深く関わるのが黄檗宗であり、明末の禅浄双修の思想を日本にもたらし、その宗旨は念仏禅と評価されたこともあった。
【参考】田中良昭『禅学研究入門・第二版』(大東出版社、二〇〇六)
【執筆者:林鳴宇】