「順彼仏願故」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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じゅんぴぶつがんこ/順彼仏願故
開宗の文の終わりの五字。善導『観経疏』散善義の「一心に専ら弥陀の名号を念じて行住坐臥に、時節の久近を問わず。念念に捨てざる者、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に」(聖典二・二九四/浄全二・五八下)という一文の「かの仏の願に順ずるが故に」の箇所のこと。「かの仏の願(彼仏願)」とは、阿弥陀仏の本願のこと。法然は『選択集』二において五種正行を論じ、この文を引いて称名正行を正定業とし、それ以外を助業とする。さらに「何が故ぞ、五種の中に独り称名念仏を以て、正定業と為するや」(聖典三・一〇七/昭法全三一四)と問い、それに対して「彼の仏の願に順ずるが故に。意の云わく、称名念仏は、これ彼の仏の本願の行なり。故にこれを修する者は、彼の仏の願に乗じて必ず往生することを得るなり」(同)と述べ、称名正行を正定業とする所以を述べている。すなわち称名正行が正定業であるのは、それが阿弥陀仏の本願に適うものだからであり、それゆえ念仏によって必ず往生することができるのである。このように法然は『観経疏』の一文を見出し、「順彼仏願故」の五文字を担保として、称名念仏が本願の行であることを示した。これによって、念仏一行のみで極楽浄土へ往生する道が開けたのである。
【資料】『伝通記』散善義記一
【参照項目】➡開宗の文
【執筆者:石田一裕】